投稿日:2013年12月22日|カテゴリ:院長コラム

 今シーズンのプロ野球は東北楽天の田中投手(マー君)の話題一色でしたね。24勝0敗とは信じられない記録です。昔はスポーツと云えば野球と云う時代で、今よりもプロ野球は人気がありました。投手部門では、あの伝説の池永正明(実質3シーズン代で100勝、下関商業から西鉄)をはじめ、近鉄の鈴木、東映の森安、ロッテの成田、木樽、広島の外木場、安仁屋、巨人の堀内、など凄いピッチャーが揃っていました。江夏の登場は少し時代が後です。このころは都市対抗野球も人気があり、テレビ中継もされていました。日鉄釜石、日鉱日立、日産自動車、松下電器、電電グループ、などなど、良く覚えているでしょう(エヘン)。
 実は話の本題はこの後で、つい調子にのってしまいました。我が内科のアルバイトに後楽園球場と云うのが有ったのです。なにをしに行くかと云えば、お客さんや選手の急病に対応する役目です。実際は急病人や怪我する選手はめったには出ず、単に野球観戦して、日当を貰って帰るだけで、晴れの日はいい気分ですごしました。しかし、いいことは続きませんね、日本鋼管とどこのチームかは忘れましたが、目の前で(当たり前ですが)ホームのクロスプレーが起きたのです。つまり、サードに居る鋼管の選手がホームに突っ込んだのです。ホーム上で捕手と衝突、捕手が倒れたまま動かなくなりました、周りの選手が声をかけたり、ゆすったりしています。ベンチからも何人か飛び出してきました。・・・・”やばい”私の心の中に黒雲がモクモクと湧いてきました。そして、遂に、ベンチからタンカーが出て来ました。もう逃げられませんね、私の出番です。すぐ医務室に戻り、怪我人を待ちました。・・・失神状態です、縫合が必要な外傷は有りません。捕手が装着している防具を外し、心臓、呼吸は異常無さそうなので、得意なはずの(??)、神経学的所見をとり始めました。そうしたら何とラッキーな事か、捕手の意識がもどって来たのです。すぐに救急隊を呼び、相談の上、順天堂?か、医科歯科大?に送ることにしました。当時はCTスキャンの初期型EMIスキャンが登場してきたばかりなので、どこの大学にもあると云う物ではなかったのです。母校にも入っているとは思いましたが、何となく止めておきました。
 さて、その後の私は?もうこのバイトは止めました。当然ですよね。