投稿日:2012年12月8日|カテゴリ:院長コラム

 仏教の三法印の一つが「諸法無我」ですね。つまり、存在の諸要素には本性、本体がない。と云う事ですけれど、目の前の女房殿に本体がないと思ってはみても、実感が湧かないですよね。「空即是色」も同じような事を言っています。目の前の物や人、それ自体が空の証拠なのだ、と思ってみても、そこに物や人が居る訳ですから、それらをを空と見抜くことはほぼ不可能に近い境地です。でも、ここであきらめてしまっては私の”仏教心理学”は成り立ちません。
 なんとなくこれが諸法無我か、と思えたのは両親が亡くなってしまった後のことでしたね、あの両親がこの世にもういないのですよ。鮮明に記憶は残っているのに。少し前まで笑いかけてくれた親父がもういない。お茶を入れてくれたお袋がいない。実感としてわかないんです。でももうお骨になちゃった。空とはそういうことなんですね。自分が子供であった家庭は幻のごとく消えてしまいました。その記憶を持っている私も何時かは消滅してしまう。やはり、諸法無我か、と少し感じられた事実でした。