投稿日:2015年3月22日|カテゴリ:院長コラム

 いよいよ春ですね、昨日から全国選抜高校野球大会が始まり、大阪桐蔭、常総学院などが圧勝しました。選抜と言えば、昭和38年、選抜の華と言われた下関商業の池永正明を思い出しますね。
 ある病院にアルバイトで通っていた時の事ですが、糖尿病の治療で入院していた患者さんが居ました。比較的高齢の男性でした。ところが何が気に入らないのか治療を拒否して退院してしまったのです、これを自己退院といいますが、「自分はどうなってもいい」と考えたのででしょうか?、何か憤然とした感情をおぼえました。頑固オヤジめ、と云う感覚ですね。しかし、それからどれほど経過したかは覚えていませんが、その男性が再入院して来たのです、それも危篤に近い状態で。自己退院したくせに再入院とは、自分で退院したのなら自分で責任とって医療に頼らないで欲しかったと考えました。病院としても入院を拒否しても良かったのではとも考えました。結局糖尿病が増悪してにっちもさっちも行かなくなり、最後は医療(病院)にすがる様に入院治療を受けに来たのです。本当はどう云う心理で退院し、どう云う心理で再入院したかは不明です。私が憶測する事は出来ません。再入院の時は家族が無理矢理に入院させたのかもしれません。その後その方は亡くなりました。
 私が病理に居た時に婦人科から病理解剖の依頼が入りました。子宮頸がんの末期で入院して来て、亡くなった症例でした。御遺体はいわゆる下半身がまるでカリフラワーが崩れた様になっていて、何が何だか分からない状態にまでなっていてました。そして担当医から経過を聞かされて驚かされました。初めは子宮膣部の上皮内に微小な癌が見つかった程度だったのです。つまり子宮膣部の円錐切除で癌は完治となるはずだったのです。このため、担当医はさかんに本人に連絡を取り、すぐ入院手術を受ける様にと散々催促してきたと言うのです。ところが本人はそれに応じず、命が救われるレベルの癌を放置したのです、何故でしょうか?本人が病院に来れない理由に姑の世話と云うのも有ったとの事でした。命が救われる事が分かっていても、本人がイエスと言わなければ、警察でも首に縄をかけて引っ張って来る訳には行かないのです。私には一体どう云う心理か憶測する事が出来ません。そして、最後の最後になって、医療(病院)を求めて入院して来たのです。病巣からすると自宅での生活は不能です。自宅でそのまま死去する訳には行かなかったのでしょうね。
 患者さんは人それぞれ、価値観も哲学も心理も違います、理解しようとしても無理な事が有りますね。